10 Prayer (流れ星の夜)
    <1>
    店の前に段ボール箱が置き去りにされていた。
    あちこちが破れ、ガムテープの跡も一箇所や二箇所ではない。
    信州みかんと書かれたその箱に、名前どおりのものが入っていないのは明らかだ。
    もし入っているとすれば今頃、ジュースか酒になっている。
    中味に興味がないわけではないが、まずは店を開けることが先決だ。
    どかそうとして手をかけ、その重さに驚いた。
    ― 一体何が入っているんだ?
    何とか横にずらして店を開けた。
    そして再びその箱を店の中に引きずり込んだ。
    ざらざらとした砂のベアリングは、くたくたの段ボールにすべて吸収され、素直には転がってはくれなかった。
    額にうっすらと汗が滲む程度で、許してくれた。
    ここはCafe&Bar・ ROOTDOWN
    メインメニューはJAZZ
    ここに、サンタクロースが訪れるのは決まって季節はずれだ。
    
    <2>
    奇妙な箱を見て、善良な一般市民が考えることいつも同じだ。
    爆弾?
    しかし善良な一般市民のもとに爆弾が送られることは絶対にない。
    一般市民に爆弾を送っても、何も見返りがないからだ。
    マスターも残念ながら代表的な一般市民だ。
    ―これが爆弾なら、ROOTDOWNが目的ではない。この量なら東京が吹っ飛ぶ。
    コンマ何秒かそんな考えが頭の中をかすめ、後はむき出しの好奇心に背中を押され、解体にかかった。
    何とそこにはマスターに取って爆弾以上のものが入っていた。レコードだ。
    ざっと見ても100枚以上はある。
    その上にノートの切れ端があった。
    こいつらを大切にしてやってください、とだけ書いてある。
    ミルクとオムツは添えられてなかった。
    
    <3>
    マスターは改めて一枚一枚を丁寧に見始めた。
    どうしようもないのもあるが、すでに廃盤になり、写真でしか見たことのないような貴重盤が何枚も入っていた。
    どういう事情か知らないが何故、直接本人が持ってきてくれなかったのだろう?とマスターは素朴な疑問を持った。
    次に名探偵でなくても浮かぶ推理は盗品だ。
    警察に届けるべきかどうか迷った。
    しかし、こいつらを大切にしてやってくれと本人が言っているんだから、しばらくは様子を見よう、
    それにこいつらを大事に出来るのは俺しかいない、心の中で胸を叩いた。
    
    その夜のROOTDOWNは新人ホステスが一気に10人以上入ったキャバクラ状態だ。
    次から次へと、40年前の新人が、顔を見せては、1時間のサービスタイム前に次の新人にバトンタッチ。
    客も次が楽しみでついつい延長。
    ボトルの栓を閉める暇がないくらいにアルコールが飲まれて行く。
    
    ここROOTDOWNは善良な市民がやっている善良なバー。
    延長料も指名料もないが、フリードリンクではありません、念のため。
    誤解があるといけませんので当店のPRを少々。
    指名されるのはほとんどがホストで、かといってホストクラブではありません。
    時々歌うホステスの指名も入りますが、決して年齢だけは聞かないでやってください。
    但し、他の店のように、今日は休んでいるとか、辞めたとか言うことは一切ございません。
    常時数千人のホストやホステスたちがあなたをお待ちしております。Cafe&Bar・ROOTDOWN:店主
    
    <4>
    久々の新人たちで盛り上がりを見せたROOTDOWNに、
    そろそろ蛍の光が流れ始める頃、残っていた常連の一人が言った。
    「それにしても、妙な話だね」
    「ええ」祭りの後、突然冷静さを取り戻したような顔でマスターは言った。
    「確かに、こうやってみんなに楽しんでもらえるという意味では、
    レコードの終着駅にふさわしい場所だと思いますけどね、うちは」
    「でも、それなりの値が付く盤が何枚もあったし、何故置き去りにしたのかだけは分からないですね。
    話によっては買い取る事だって出来たはずですからね」
    マスターは季節はずれのサンタに感謝していた。
    今日がもしバレンタインデーなら、ホワイトデーが来ても返す相手がいない。
    
    <5>
    その頃、北に向かう列車の中で、大事そうに一枚のレコードを胸に抱えた男がひとり、
    「これでよかったんですよね?」と、ボックス席の誰もいない向かい側を見てつぶやいた。
    レコードはすべて遺品だった。
    海外に飛び立った友人が、預かっておいてくれ、しばらく日本に戻れないからと言って置いて行ったものだ。
    その友人が帰らぬ人となった、と知らせを聞いたのが先月の末だ。
    ショックは大きく、しばらく田舎でその傷を癒そうと部屋の整理を始めて、その大きな遺品が重くのしかかってきた。
    自分にとってこの手のレコードは猫に小判だ。
    彼が一番喜ぶ方を法見つけた。
    相談したい彼はもういないが、きっと賛成してくれるだろう。
    チャーリー・パーカーの「Bird on 52nd Street」
    彼が好きだったミュージシャンのアルバムを一枚だけ手元に残した。
    プレーヤーもなく、これからも聞くことはないだろうが、
    彼の思いをそのまま封じ込めておくにはその方がいいかも知れないと自らを納得させた。
    その時、暗黒の車窓に一筋の光がよぎった。
    流れ星?
    一瞬後に、彼の許しと冥福を祈った。
    
    ◇
    マスターは店を閉め、ひんやりとした空気の中で、思いっきり伸びをした。
    その視線の先に一筋の光が右から左に流れた。
    突然の光に、願い事が思いつかなかったマスターは
    ―今日の俺の分は、どこかの誰かさんにくれてやろう
    と、夜空に向かい再び伸びをした。
 Root Down
    
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