07 Next (次の地球へ)

<1>

季節も変わって、店も夏バージョンにしてみるか。

そんな思いつきから多少早めに出勤?した。

店の前に犬がいた。うろついている感じではなく、きちんと座っている。

昨日から開店を待って並んでいた?そんな感じだ。

近づくと、ゆっくりとその場を譲った。

カギをあけ、中に入ると、なんと一緒について着いてきた。

―おいおいここをどこだと思っているんだ。

そう、ここはCafe&Bar・ROOTDOWN

メインメニューはJAZZ

犬用のアルコールも、ドッグフードも置いてない。

犬のことは良く知らないが、利口そうな犬だと、マスターは思った。

―のどでも渇いているのか?仕方ない、水でも飲ましてやるか。

洗面器に水を張り、つい習性で氷まで入れてやった。

その後ガラスケースの向こうに廻り、今日最初の一枚に針を落とした。

アントニオ・カルロス・ジョビンの「WAVE」

夏が似合うアルバムだ

水を飲み終わった犬は正座?してそれに聞き入っている。

その姿が、なんとなく昔のビクターのマークに見えてきた。

主人の声が聞こえてくるという蓄音機に耳を傾ける犬に。

―首輪をしているから野良犬ではなさそうだが、飼い主はどこに行ったんだ。

―それにしても、何故、店(うち)の前で待っていた?んだ。

吼えることも、うろつくこともなく、静かに音を聴いている。

犬が音楽を聴いている!それも聴きいっている。

 

<2>

そういえば犬の聴覚は50000ヘルツまで聞き取れると言う。

人間の20000ヘルツに比べて、数段に豊かな音で聞こえてるということか?

この、今自分の耳に聞こえている音と犬が聞いている音は違う音なのか?

確かにベース音ひとつをとっても、高音がその輪郭をカバーすることによって、

よりベース音が重さを増す。隠し味の塩みたいなものだ。

だからより高音が聞こえると言うことは、より豊かなベース音が聞こえていると言うことだ。

マスターは、夏バージョンのことなどすっかり忘れ、目の前の犬に嫉妬さえ覚え始めていた。

突然、昔読んだSFを思い出した。

「都市」と言うタイトルで次の地球を犬が支配している様子が書かれている。

内容はうる覚えだが、人間は都市から郊外へ移り住み、やがては宇宙に旅立ってしまう。

残された犬が言葉を覚え、次の地球を支配する。やがて人類は伝説となる。

小学生の数よりペットの数が多いと言う今の日本。

少子化を犬や猫で埋めている人間の先にあるものは・・・・・?

―私も次の地球で犬に生まれ変われるだろうか?

―そうなれば、絶対にまたCafe&Barを開いて、レコードに囲まれて暮らしたい。

50000ヘルツの聴覚が手に入れば、

マイルスの息吹、その奥にあるものまでたどり着けるかも知れない。

 

<3>

マスターの妄想は果てしなく広がって行った。

いつの間に静寂が戻っていたことにも気がつかなかった。

そばにいた犬が、最初は低くそしてその音をノンスケールで引っ張り最後にワンと吼えた。

その声にマスターは我に帰った。

そして、犬が拍手の変わりに、吼えたのだと気づいた。

マスターの心にしばらく余韻が残った。

ジョビンのピアノではなく、そばにいる犬の感性に。

 

突然ガラス扉が開き、余韻はその音に消された。

「ここにいたのか!探したよシール」

男は入ってくるなりそう言った。

「すみません、工藤といいます。近くで車を止める場所を探して迷っていたら、

突然シールが、ああこの犬の名前です、娘がつけました、窓から飛び出してしまい、

やっと駐車してこの辺を探していたところだったんです。

そしたら泣き声が聞こえたものですから。ご迷惑かけました」

男とシールは店を出た。

先を行く男が振り返りもう一度頭を下げた。

シールも振り向いた。

そしてガラス扉に一瞬視線を止め、もう一度吼えた。

 

―まさか!

最初から分かっていたのか?

そのガラス扉にはいつものようにレコードをデザインしたロゴがあった。

 

参考文献:「都市」クリフォード・D・シマック ハヤカワ文庫