21 IMITATION(スイングする薔薇)

<1>

「造花です」

その女が、カウンターに置かれた薔薇に手を伸ばすのと、私がそう言うのが同時だった。

女はタッチ寸前でその手を止め、私の方を見た。

返ってきたのは、「わかっています」と言う硬い言葉と、余計なことを、と言う思いが込められた冷たい視線だった。

実は私も店に入った途端、カウンターの隅のその異物?に気づき思わず手を伸ばし、やはり造花かと確かめずにいられないくらい、その薔薇はみずみずしく、エアコンの風に優雅に揺れていた。

身長165cm? 体重?kg 長い髪を後ろで束ねているせいか多少目が吊り上って見えるが、それにしてもいい女だ。30歳をいくつか出たとこだろう。おそらく彼女も私と同じなのだ。99%造花だ、と思いながら、最後の1%を確かめずにはいられなかった。それを先に言われてしまった悔しさが、「わかっています」という主語抜きのセリフになって返ってきたのだ。

ここはCaféBarROOTDOWN

メインメニューはJAZZ

たった一言から始まった無言劇に、贅沢すぎるBGMが流れている。

 

<2>

この薔薇は客の一人が以前、造花のくせに本物を越えている、と言って自慢げにおいていったものだ。

水を入れたグラスにそれを挿し、カウンターに置いただけの単なる気まぐれが、まさか男と女の冷戦を引き起こすとは、マスターは想像もしてはいなかった。

 

女は考えていた。

なんて大人気ない人なんだ。

どうせ声をかけるなら、

「ハイ、そうです」とか、

「当たり!」とか言ってくれれば、

「で、すよね」と私も笑って返してあげたのに。

それだけで造花であることは、2人の間で立派に成立する。

なんてデリカシーのない人なんだ。

 

黙り込んでしまった女を見て男は考えていた。

そんなに悪いことを私はしたのか?たかが薔薇一輪で。

 しかしそこまでこだわるのなら、手を出す前に、

「これ造花には見えませんね」とか、

「こんな造花だったら私も欲しい」と宣言すればよかったのだ。

そうすれば私も、「実はさっき、私も思わず確かめてしまいましたよ」と、正直に話せたのに。

「わかっています」は、明らかに後出しジャンケンだ。

いい女だが、素直じゃあない。

 

マスターはグラスを磨きながら、この冷戦はいつまで続くのだろうと思い、気まぐれを後悔した。

3人しかいない空間に、いつもより重い空気が流れている。

ガラスケースの向こうに廻り、ジョー・サンプルの「虹の楽園」に針を落とした。

フュージョンらしい軽快なピアノが、空気を変えてくれることを祈った。

残念ながらジョー・サンプルの気持ちは彼らには伝わらなかった。

マスターは、この時ほど、次の客を待ちわびたことはなかった。

 

3番目の客がガラス扉から顔を覗かせた。

常連の永瀬に後光が差していた。

入ってくるなり薔薇に気づき、やっぱり確かめるために手を伸ばした。

「やっぱり造花か!それにしてもよく出来ているな。どうしたのこれ?マスター」

それを聞いたマスターとカウンターの2人が声をそろえて笑った。

しかし、その笑いは、ランボーでもない一般市民が、冷戦を終結させた結果であることを、この時の永瀬はまだ知らなかった。

 

<3>

永瀬は事情もわかり、すぐに3人の輪の中に入ってきた。

と言うよりいい女と単にお友達になりたかっただけなのだ。

以前、フィリピンに行った時の話を永瀬がし始め、造花の話から偽物の話になった。

冷戦が終結した私たちは、主役をその永瀬に譲った。

フィリピンでは道端にシートを敷いて、いろんな物を売っている。

明らかに偽物とわかる時計を広げている男に永瀬が言った。

「どうせこれ、イミテーションだろう?」

もちろん日本語で、だ。

すると男は大げさなジェスチャーを交えてこう叫んだ。

「ノーノーこれ、ニ・セ・モ・ノ!ニ・セ・モ・ノ!」と。

永瀬を含め、今度は4人の笑い声がまさに虹の楽園に届きそうに店内に響いた。

旅の恥はかき捨てと言うが罪な日本人がいたものだ。

 

「マスター!偽者のJAZZって言うのはあるの?」

永瀬は自分でも質問の意味を理解しないまま、脳を通さずそんな言葉を口にした。

「さあ、JAZZそのものは形や形式こだわらずに自由にと言うのが基本理念ですからね。音楽のジャンルの中で偽者を見つけるのに一番難しいのが、むしろJAZZなんじゃあないですか?」

マスターは本当に困って素直に答えた。

「むしろ聴くほうが真剣に対峙しないと、本物さえ見失ってしまうというのが私の本音ですね」

マスターの言葉に、永瀬はやっと自分の質問の意味を理解した。

「話は少しズレますが、ベースがブレてるバンドは聞きたくないですね」

と、言うマスターの言葉に、私を含め誰もが、えっ?と思った。

トランペットやピアノではなくどちらかと言えば地味な、ベースを取り上げたからだ。

「皆さんも知ってると思いますが、ベースは全体のリズムを取っています。だからこれがブレると全体がばらばらになってしまうんですよ。ドラムがリズムを刻んでいるのも事実ですが、よく聞くとベースは冷静で、ドラムはそれなりにおかずをはさんだりして、遊んでいるのが分かるはずです。ちなみにこの曲だって、ピアノのソロの時にはかなりベースは弾きこんでいますが、それにサックスが入ってくると、ベースが単調なリズムセクションに戻るのが分かりますよ。試しにベースランだけを聞いてみてください」

と言いながらガラスケースの後ろに廻り、ビル・エバンスの「INTERPLAY」に針を落とした。

誰もが真剣にベース音だけに耳を傾けた。

そうすると、今までとは全く違った音楽が聞こえてきた。

と、同時にマスターの言っている意味も理解できた。

脱線した永瀬の一言が、口数の少ないマスターの一面を引き出し、そしてジャズバーの主役に戻った一瞬だった。

そしてこの時、ベース音に耳を傾けているのは人間だけではなかった。

 

<4>

造花は相変らず優雅に揺れてる。

エアコンの風にではない、スイングしているかのようだ。

単なるベースの低周波に振動しているだけなのかもしれないが、花にモーツァルトを聴かせるときれいに咲くと言う。真意はわからないが、造花にJAZZを聴かせるとより本物に近くなるという奇跡が起きそうな夜だった。

マスターは客の帰ったカウンターでひとり、人の手に触れることの出来ない場所を考えていた。

スイングする薔薇のために。