13 Accident (神様のジグソーパズル)

<1>
8月も2週目に入ると、いきなり客足が遠のいた。
二八(にっぱち)とよく言うが、今年は二月と八月が交互に来ているような景気の悪さだ。
店を開けてやがて1時間、マンツーマンで向かいあい、心地よい音楽も流れているが、
別にカウンセリングを受けているわけではない。
カウンターを隔てて、中にマスター外に私、その私がたった一人の客と言うわけだ。
ここはCafe&Bar・ROOTDOWN
メインメニューはJAZZ
マスターは客単価を上げるために"アルコールがすすむアルバム"
を探しにガラスケースの向こうに消えた。
このままだと、本当に"アル中"患者のためのカウンセリングが始まりかねない。
自分で火をつけ、自分で消す。ここはマッチポンプバーか!!!

<2>
やがて、ガラス扉が開き、額の汗を拭きながらひとりの男が入って来た。
何度か見かけた顔だ
これで私への感心も問診もしばらくはない。
ひとりでゆっくり酒を飲める時間?をやっと取り戻した。
深みに嵌りすぎた常連の悲哀は、店と客の境界を自ら越えてしまう事だ。
一度超えると二度と戻れない。
ドクター?はカウンターにお絞りと灰皿を置き、さっそく問診に入った。
そして、飲み薬はハイボールを調合し、音楽療法を加えた。
スタン・ゲッツの「ジャズ・サンバ」
ボサノヴァの第一奏者だ。テナーサックスが一気に夏を吹き飛ばしてくれた。
しばらくその客の相手をして戻ってきたマスターが小声で私に言った。
「本物の医者だった、しかも精神科医らしい」
我々のお粗末なお医者さんごっこはこれで打ち切りだ。
しかし、小説など問題にならないくらい、偶然の大安売りが現実では起こっている。

<3>
3人目の客がガラス扉を押した、と思った。
「お待ちどうさまでした!」
入ってきたのは寿司屋の出前持ちだった。
「マスター、申し訳ない。朝から忙しくて何も食べていないんだ」
そう言いながら支払いを済ませたのは本物の医者だった。
おつりと、要らないというのに領収書を置いて、寿司屋は出て行った。
帰り際に振り向き「きっと後で役に立ちますよ、お・きゃ・く・さ・ん」と言った。
そして「やっぱりJAZZはいいですね」と、笑いながら付け足した。
変な寿司屋だとその時は全員が思った。
「腹もすいてるが、JAZZも聞きたい、と言うわけでこんなずうずうしいまねをしてしまって」
ここに来る途中で寿司屋に入ったんだが、出前にしてもらって、と照れ笑いでごまかしながら、
「どうです?一緒につまみませんか?」と精神科医は言った。
ここはハワイの寿司バーか?
マスターはあきれながらも、とても一人前とは思えないその量を見て、
「じゃあいただきましょうよ、遠慮なく」
と私の方を向いて言った。
精神科医は腹を満たしながらも、脳は違うこと考えている様子だった。

3人目の客が来る頃には無事食べ終り、マッチポンプバーでも、寿司バーでもなく、
元通りのジャズバーに戻った。
軽快に鳴っているのはトニー・ウィリアムスの「Civilization」だ。
精神科医は要らないと言って、カウンターにそのままになっていた領収書を丸めて捨てようとして、
その裏に何か書いてあることに気づいた。
(高杉、おまえのことだからこれさえも捨てようとしているのかも知れない。
俺は最初に会ったときから気づいていた。鈴木)と走り書きがあった。
精神科医の脳に刺さっていた魚の骨が、一気に溶けた。
「あいつ、高校の時の同級生だったんですよ」と、うれしそうに言う医者を見て
私はよくある偶然だと思った。
その後、精神科医は領収書を片手に寿司屋に電話をかけた。
短い会話の後で、あいつの店だった、まさに首実験のためにもう一度顔を見せたんだ。
あいつらしいと、独り言のように言った。
しかし偶然はそれだけでは終わらなかった。

<4>
数日後、ガラス扉を開けて入ってきた精神科医は女性を伴っていた。
しかし、その外見からの年齢差はどう見ても親子だ。
マスターはそれまでいつも一人だった彼に今日はテーブルを奨めた。
しかしカウンターがいいと言ったのは女性だった。
私は相変らず一人で、根っこが生えたようにカウンターの隅で、
マスターを前に、枯れない程度に色の着いた水をもらったところだった。
"常連草"と言う植物がもしもあるなら、それはROOTDOWNにけなげに咲いた私のことだ。
その女性はスツールに半分くらい腰を乗せながら、医者に言った。
「先生はこの店このよく来るんですか?」
と、広くもない店内を見廻しながら言った。
私の先入観は見事にこの一言で打ち砕かれた。
「それほどでもないが、JAZZは好きだからね」
「私の店も寿司屋なのにJAZZを流しているんですよ」
「へぇー面白い店だね、そうか、君の家はお寿司屋さんだったね」
「ええ、偶然この近くなんですよ、舞寿司って言います」
「そう言えば、そろそろ君のお父さんにも正式にご挨拶しなけりゃあならないね?」
そう言うと、その女性は黙ってうなずいた。
そんな女性のしぐさを横に見ながら、精神科医の脳は一気に大気圏に飛んだ。
―舞寿司?待てよ、そう言えばこの前の領収書、よく見なかったがそんな名前だった気がする。
鈴木なんてどこにでもある名前だが、まさか?


偶然なんて、神様のジグソーパズルだ。
必然と言う完成に近づくまで、小さな偶然が繰り返される。
自分がそのピースのひとつだなんて、完成するまで誰も分からない。
そして今回の最後のピースは、同級生が義理の親子になるかもしれないと言うご対面のピースだ。